閖上に行く
昨日は仕事が急にキャンセルになったので、閖上に行って来ました。
名取大橋は通行止めだったので、四号線を南下して、名取駅の通りを右に曲がって閖上に。
県外ナンバーが多く道は渋滞だった。
山形ナンバーが多く遠いところは姫路、釧路ナンバーもあった。
閖上の入り口、歩道橋の交差点は警察が配置され、一般の車は入れないようでした。
通行許可書が必要らしかったけど、私の運転免許証の本籍が閖上4丁目なので、問題なく通してくれました。
警察の人が、ぽっそっと一言。
「気を付けて。あまり気を落とさないで・・」
本当だ・・・瓦礫の山。
道路を一本はさむと普通にコンビニが営業して、車が通っている。だけど、一歩閖上の道に入ると、瓦礫の山でした。
この写真の右の建物の三軒ほど隣に夫の実家がありました。
このあたりが家が建っていた場所。
何にもありませんでした。
見渡す限り瓦礫の山。乾燥して埃っぽささえある。ここに津波が押し寄せてきたなんて信じられない静かさがありました。
そんな中、マフラーを改造した車が爆音をたてて道路を走っていた。
「地震かと思うじゃん・・」
そうかと思うと、バイクで連れ立って見学に来ているような学生もいた。
明るい声で私に「がんばってくださ〜い」って。
「ハイハイ。言われなくても頑張っています」
せっかく仙台に来たのなら、どうぞ街中の居酒屋に行ってたくさんお金を落して行ってね。
私の友人のお店も地震の被害にあって、経営が大変なんだから!!
県外から来た人を非難はしません。どうせなら仙台でどんどん買い物して、じゃんじゃん食べて、お土産沢山買って行ってね。
本当にボランティアしてくださる方にはにこサポを寝泊りするところとして提供するんだけど、見物しに来る人は旅館やホテルに泊まって仙台の経済効果にお役に立ってもらいましょう♪
もう明るくいい方に、いい方に考えないと前に進めない!!
まだ閖上は瓦礫の撤去が始まっていません。もし、整地され、またこの場所に街が戻ってくるなら、仕事がない時は何でも手伝ってみよう!!軍手をはいて、厚底の長靴はいて片付けだってできる!!軽トラなら運転できる!!
大型免許とっておけば良かった・・
私の父親はダンプ屋さん!ついでに弟君もダンプ屋さん
だから、あの震災当時、お米もなくなって、ガソリンもなく困っていた私たちに、新潟からたくさんの支援物資を運んでくれたのです。自分の仕事だって大変な時に、私たち家族の分だけじゃなく、とにかくトラックに詰めるだけガスボンベや水、お米、味噌、その他様々な食材、ガソリンを積んで走ってきてくれました。
今は能代の景気が悪くて新潟や、埼玉と渡り鳥になってるけど、宮城でどんどん仕事して欲しい♪
創業26年 みんなが嫌がる仕事も喜んで!!勝美建材の仕事のご依頼もにこサポまで
(お父さん。宣伝しておきました〜)
とにかくみんなで力を合わせて高度経済成長期をもう一度はたしてみせましょう!
あの瓦礫の山を元に戻したい。
閖上にある、ささ圭という日本一美味しいかまぼこやさんも復活してもらいたいしね!!
by ミナッチ 本日の募金10円