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この世の果て 思い出の歌①

大変ご無沙汰しておりました 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます♩

2024年の目標はシッター家事サポート、イベント型の託児をコロナ前と同じように稼働して、シッターさんへの感謝を数字に表せるように

ますます努力していきます(#^.^#)

いつもご利用の会員さまも はじめましての会員さまも たくさんの出会いに感謝し、ご縁を大切にしていきたいと考えておりました♩

 

わたくしの近況報告としましては、長女はようやく社会人、末っ子もうまくいったら今年から大学生(かなり・・希望的観測)

そろそろわたしの子育てのゴールもみえてきました。

 

母子家庭という選択を自分で選んでから10年、一番大きな出来事はがんで亡くなった父との別れでした。

何度かブログにも書いている通りわたしはとても父親っこだったのです。

 

だけど最近思い出されるのはわたしが24歳の時に亡くなった母の思い出。

 

わたしは母の実家青森で産婆さんに取り上げて生まれました(東京で新婚生活していた母は里帰り出産を希望したのですね) 

その頃東京で働く父は忙しく、わたしが生まれて3か月以上たってからようやく青森にお迎えに来てくれたそうです。

 

それまでの3か月間、母はずっと迎えに来てくれない父を待ちながら慣れない子育て、変化する体調に不安を抱えてふさぎ込んでいたのだそうです。

だけどそんな母の様子を知ったのは、わたしがずっと大人になってからのこと。

少しずつ壊れていく母の変化にわたしも父も、まったく気が付くことはありませんでした。

 

東京に戻りここからの記憶はわたしが幼稚園の頃になるのですが・・仕事で帰りが遅い父を待ちながらいつもきれいに家を整え一緒におやつを作ったりぬいぐるみの洋服を縫ってくれたり本当にいつもわたしに優しく接していてくれた母。

その記憶に間違いはないのですが、母は、毎日夕方になると寂しいとレコードをかけ涙を流しながら歌を口ずさむのです。

 

最初は明るい曲をかけながら、親子で楽しく歌ったりたまには振り付けしたりしてマイクをつないで歌ってみたりするのです。

だけど必ず最後に流れる曲は「The End Of The World」 みなさんご存じでしょうか?

マツコさんと有吉さんのバラエティ番組の、何だか失敗談に流れる曲と言ったら伝わりやすいでしょうか。

 

カーペンターズが好きな母だったので、最近までてっきりカレンさんの曲かと思っていましたが実はカバーで「スキーター・デイヴィス」さんのもっともっと昔の歌だったのですね。

 

レコードを聴きながら涙を流す母のために、わたしも一緒におどけて歌ってみたりしたけど、英語だから意味もわからない、そもそも何がそんなに悲しいのかわたしには分らないのです。

 

お母さんはお父さんが大好き。お父さんはお仕事で忙しいけどわたしがいる。お父さんが一生懸命お仕事してくれるから、お母さんもわたしも幸せに暮らせる。

子どもだったわたしはそれだけで満たされていて母の寂しさは一つも理解できていなかったのです。

 

わたしが小学校三年生の時 9歳になったころ。母の心は完全に壊れてしまいました。今でもその頃のことをはっきり覚えています。

 

朝起きるときれいにお化粧したお母さんが笑顔で「おはよう」と言い、枕元にはきちんとたたんだその日着る洋服ハンカチがそろえられています。

着替えを済ませると美味しそうな朝ごはん。

それが毎日あたりまえのように続くと思っていたのに、ある日お母さんはお布団から起き上がることもパジャマを着替えることも

寝室から出てくることもなくなってしまいました。

 

「The End Of The World」世界の果てでも世界の終わりでもなく、わたしの中では 世界は終わったの そう理解しました。→② 

ただいまんぼ。

青森の旅を終えて無事に帰ってまいりました。皆さま本当にお休みの間ご不便をおかけしました。私が不在の間、上田事務局、にこサポシッターさんも本当にお疲れさまでした。
実は上田事務局も帰省中。二人とも仙台を離れていたのですがメールをチェックできる環境&電話の転送などなどを駆使して「どこでも事務局」を実験してみました♪私が旅行中は兵庫にいる上田事務局が担当。これで私が急に仙台を離れなくちゃ!!となっても秋田でちゃんとお仕事が出来るのだ〜 ムフッ
ただ、仙台〜秋田〜青森と毎日長距離運転&日頃の疲れが出たのか22日の夕方から左足のひざ下に全然力が入らなくなる。ぶら〜んとしたひざ下を引きづりながらスーパーでお買いものしていたらサンダルが脱げちゃって転倒足に力が入らなくて起き上がれない様子にびっくりしたのか、おばちゃまたちが集まってきてちょこっとお騒がせしてしまいました。ごめんなさい・・・
結局帰りも一日のびてしまい、私が担当しているにこサポ会員さまには大変ご迷惑をかけてしまい申し訳ございませんでした。
「忙しいのに運転手させて疲れさせちゃって悪かった」という父に驚く!!今までそんな発言は一度もなかったのに。父が集まれと言ったら何が何でも集合。あそこに行けと言われればハイとこたえ、それはダメと言われれば「わかりました」とあきらめる。それなのに私がコケたせいでそんな風に思わせちゃうなんて ショボン
でも、責任を持って何かを引き受けるにはちゃんと自分の体調管理をすることが大切なんだなと気が付きました。長〜く仕事を続けていくためにも無理ばっかりしないでしっかり休養をとります!私の娘たちが大学生になるまでにはあと10年。まだまだ元気に働いていかなくちゃね♪
ちょっとしたアクシデントはあったものの、青森の親戚とバーベキューしたり温泉に行ったりと楽しい夏休みを過ごすことが出来ました。ご協力頂いた皆さま本当にありがとうございました

スタンプ ポンポン♪ 楽しい連休

皆さま連休いかがお過ごしですか?私は二日だけお休みをとって秋田に里帰り 
実家で私の愛する「道の駅完全読本」を発見!何と父もおんなじ本を持って道の駅めぐりを楽しんでいるんだって早速スタンプの数をチェックするもののほとんど押していない。お〜い・・・
珍しく激しい口調で「何でスタンプを押さないのか?」と問いただす。するとガイドブックとして使っているだけでスタンプ集めるなんて知らんという父。反対にスタンプを押すのが何でそんなに楽しいのか反論される ムムッ
一生懸命スタンプ集めの楽しさを伝えたところ笑い出す父と娘たち またまたムムッ
でも、今度からスタンプ集め仲間に加わってくれると聞き嬉しくなる。るるん
子どもの日はスタンプ集めに出かけました。これで集めたスタンプ7個に!!わ〜いわ〜い
スタンプ
一番お気に入りがこのお花のスタンプ♪ぽんぽこ山のたぬきのスタンプも捨てがたいが華やかなこっちらのスタンプに決める(いちいち順番をつけるのもまた楽しい)
宮城には12カ所しかないけれど、秋田には30カ所ある道の駅。秋田市周辺にも密集しているからスタンプも集めやすい♪ちょこちょこお買いものし、美味しいものを食べご機嫌
子どもの日だから私の好きなことに付き合ってくれるという父。私の娘たちにはお小遣いを持たせてくれお母さんに付き合ってあげなさいって・・・う〜む それでいいのか?? ところが小銭を持ってあっちこっちでお買い物を楽しみ「お母さんの子どもで良かった〜」と私の子どもであることに感謝してくれて、道の駅めぐりを一緒に楽しむ娘たちにちょっとジーンお母さんこそいつも可愛らしい娘たちにありがとうと言いたいです(親バカ)
秋田土崎港の道の駅であきたこまちのおむすびをモチーフにしたお財布を買い、すっごく気に入り何度も出しては眺めている娘の様子を見て私も嬉しくなる。全然特別じゃない普通の休日の過ごし方だけどとっても楽しい一日でした。
ちょっとだけ体調が良くなかったのに一緒にスタンプ集めしてくれた父にありがとうと言って仙台に帰ってきました。
これからもずっと父と娘たち。みんなで一緒に道の駅めぐり出来たらいいな そう願いながら長〜い渋滞に一人耐える もちろん娘たちは車の中でぐっすり夢の中・・
明日からまたお仕事 しっかり頑張って夏には青森編道の駅スペシャルバージョンの旅に出かけるのだ〜♪

父と東京に。

先週は父と東京に。
父がお世話になった会社のOB会に参加するため私はかばん持ち&お抱え運転手として同行♪
なるべく病気療養中である父の身体に負担が掛からない様、父は秋田から飛行機で羽田に。私は仙台から新幹線で東京に向かい早めに到着!レンタカーを手配して空港で合流♪
久しぶりに会う父はとっても元気そう 本当に一安心
慣れない東京での運転だけど、父のためなら頑張っちゃう!首都高だって走っちゃうんだもん
夕方のOB会まで時間があったので昔住んでいた懐かしい場所によったり、ご飯を食べたり。
ホテルにチェックインして、会場まで父を送り届けてから私は次の予定まで近くでお茶したりぶらぶらお買いもの
OB会が終わり、私も途中から参加。父の勤めていた会社で私も学生の頃アルバイトしていたのです。
40年生きていてあの頃ほど人に叱られたことはなかったな〜
父の大先輩 小野部長。今は渋谷センター街パトロールの大隊長さん 昔から本当に厳しくて会うたびに「勉強してるか?遊んでばっかいるんじゃないぞ!!」と叱咤激励され・・ものすごく怖かったな〜 同じく私がお世話になった樫井工場長にはがっちり厳しく躾けられ(毎日叱られてばっかり・・)社会の厳しさに悲しくて涙する日々だったのです。ホントホント
20年ぶりに会った小野部長と工場長 お互い元気な事を報告し、父を連れてきたことに対して「ありがとう」と私の手を取り涙を流す様子に一瞬私も胸がつまったけど、今日は完璧な父の秘書を務めるんだもん どうしても泣くわけにはいかないのです
昔の仲間に囲まれている笑っている父 楽しそうに小林旭の曲を歌っている父。帰りがけ何度も引き留められながらリクエストに応えまたまた歌ってる父。最後はみんな泣いていたけど父は本当に素敵な人生を過ごしてきたんだな〜 私も父の様に人に好かれる人間にならなきゃ。単純だけどそう思いました。
明治神宮
次の日は早起きして明治神宮に。ここも父の思い出がいっぱい詰まった場所なのです
横綱の土俵入りを見たり、家族で七五三のお参りをしたり。仕事で嫌な事があると気分転換に散歩したり。
遠く九州から今回のOB会に参加するため駆け付けてくれた父の友人の皆さま、小野部長に樫井工場長。楽しい時間をありがとうございました。
私が不在の週末。重なるシッターの予約に夜遅くまでの託児 にこサポの皆さんとっても大変だったことと思いますが、お蔭様でようやく父に親孝行ができました。本当にどうもありがとう 今日からまた一生懸命頑張りますのでどうぞよろしくなのです

父と東京に。

ちょこっとご無沙汰しておりました。今週は早朝からのシッター(7:00〜)夜は10時までのシッターがびっちり!
そして不安定なお天気のせいか病児託児が相次ぎ、皆で役割分担。どうにかお断りすることなくシッター業務をこなすことができて本当に良かった!皆さん、お疲れ様でした。
午後から一人パソコン仕事をしながらハッと思い出す。今月末は父と東京にいくのにホテルの予約してなかった・・
病気が分かってから今までずっと「東京に行きたい」と言い続けていた父。
20年くらいかな?渋谷で働いていた父。その頃お世話になっていた上司にどうしても会いたいと言うのです。
早速お世話になっていた上司に連絡し、約束の日を決める。久しぶりのおじさまの声にちょっと涙[emoji:v-409]
「みなちゃん!変わりない??」ってもうあれから30年。変わってないはずはないのに、やっぱり子ども扱いするおじさま。私はたま〜にテレビでおじさまの活躍を拝見しているのです。全然変わりなくいつも本当にお元気そう!私もお会いするのがとっても楽しみ♪
新幹線、飛行機?何が一番父の体の負担にならないで移動できるかな〜そう考えていたんだけど何だかぴんと来なくってもう一度父に確認の電話を入れました。
やっぱり今あまり調子が良くなくて私に電話しようと思っていたんだって。
結局東京に行くのは10月に変更。何となくそんな気もしていたのです。
おじさまに連絡し、次回の予定を調整。
父の体に負担をかけないで出来るだけ希望を叶えたい。痛みが強くて毎日辛いと話す父。
それでも最後には相変わらずヘンな小ネタで私を笑わせてくれる父。いつも最後は笑って電話を切るのです。
東京のおじさまにも、父にも全然足元にもおよばないちっぽけな私。それでも辛い時悲しい時こそ笑顔でいられるように
そう心がけて毎日元気で過ごそうと思うのです。来月こそ父を東京に連れて行くのだ〜 

離婚ようやく成立。

ご無沙汰しておりました。
3年別居生活を経てようやく離婚が成立。
これからも、母娘三人力を合わせて生活していきます。
本当に大変だった、調停離婚。ここでは離婚の理由は書けませんが申立人はもちろん私。
4回の話し合いでも中々合意してくれなかった夫。次回までに決断を出すという申し出に対して
私が「不成立にしてすぐに裁判に持ち込む」と伝えようやく合意してくれました。
どうもありがとう。13年 お世話になりました。
ここからが私の本当に望んでいた経済的自立・子育てが始まるのです。
夫の経済力に振り回されることなくしっかりと子ども達を育てていきたい。長い間そう願っていました。
そして離婚後は、夫婦としては完全に解散。しかし、子ども達が望むならお互い父・母として責任を果たします。
親権は私でも、気持ちとしては離婚後も共同親権。
それにしても、離婚後の手続きの複雑さ!でも大丈夫。にこサポのカリスマ事務員さんは行政事務のベテランさん[emoji:v-353] 事務が苦手な私の強〜い味方♪ 重なる市役所の手続き、その他夫との諸連絡も龍田さんと一緒ならルンルル〜ン すいすい進んじゃうのです。
母子家庭になって心が折れてしまいそうな諸手続き。こんな問題もあったのか〜と改めて考えてしまいます。
子育てに関する悩みプラス離婚後の諸手続きのお悩みもこの経験を活かし?お母さんがいつでも笑顔でいられるようにサポートできるようになりたいと思うのです。
私の勝手な意思で子ども達を父親のいない子にしてしまったのは本当に申し訳なかったけれど、これで良かったと思えるように楽しく明るい母子家庭目指していきます。
宝物のように大切な私の娘たち。傷つけてごめんなさい。お母さんを信じてついてきて良かった!そう言ってもらえるようにしっかり頑張るので、安心してついてきてね♪
未来は明るいのだ[emoji:v-20]

父の日

今日は父の日。お仕事を調整して秋田に帰ろうかと予定していたのですが
娘の修学旅行、ちょこちょこと用事が重なり結局今週は帰る事が出来ませんでした。がっくり[emoji:v-390]
末期のがんであることを告知されてから半年以上がたちました。
新薬の効果があり、今ではパソコン教室で勉強したり病院に通ったり。暇なら温泉に出かけたり
そんな生活を楽しんでいる父。
いつ電話しても、笑っている父に私も元気をもらっているのです。
父の日なのに何も出来ない私。せめて午前中に電話をいれようかと思っていたのだけどグズグズ・・
最近忙しわりに仕事でも失敗したり思う通り行かない事もありでちょっとめげる。
そんな時に電話するとすぐに察する私の父。電話したいけど出来ない。う〜む
でも、私だっていっつも元気で順調なわけじゃないんだもん。ちょっと元気ないって正直に言ってみようかな?
私はまだまだお父さんに元気でいてもらわないと困るのです。一人じゃ何も出来ない(オイッ[emoji:v-356])
きっとそれでいいのかも。だってバカな子ほど可愛いっていうもんね[emoji:v-344]
皆さまも是非お父さま孝行して素敵な父の日をお過ごしくださいね。
私は親不孝かも・・[emoji:v-403]

陶芸教室に行く。

陶芸教室に行きたいと昨日からブ〜ブ〜言っていた娘たち。お昼からのシッターがキャンセルになったため、ドライブがてらびゅ〜んとお出かけ。仙台市内から車で30分かからず到着!七つ森の陶芸教室に行って来ました
陶芸
ロクロに粘土をのせ本格的
「お母さんも一緒に作ろうよ〜」と言われたものの・・実は私は本当にぶきっちょ それに芸術性が求められるものすべて苦手。絵だってすっごく下手なのに、立体的な造形なんて無理!!
「お母さんはいいのよ〜オホホ」と逃げ、先生にまるっとお任せ。エヘッ
ちゃんと出来るのかな〜と見ていると以外にも器用に仕上げていく娘たち。う〜ん天才(親ばか)
陶芸2
道具も使って仕上げに入る すっすご〜い もちろん先生が補助してくれているものの、立派な出来栄え。
何だか私も出来そうな気がしてきた!(今頃やってみたくなる)
完成は一か月後。それぞれお茶碗と湯呑を作った娘たち。どんな感じに仕上がっているのかな[emoji:v-344]
まんまるの粘土から、ロクロの上でどんどんいろんな形になって行く経過は見ていてとっても面白かったです。
帰りには先生からうさぎとパンダの置物を作って頂き大満足で帰ってきた娘たち。
ちょこっとお出かけだったけど、十分に楽しめました。皆様も是非お出かけくださいね♪

秋田から父・甥っ子たちがやって来た!

先週金曜日。秋田から父が遊びにやってきました。
目的は仙台の病院の医療相談。
何でも末期のがんにも有効な治療法があるそう。次の日、張り切って父と二人で説明会を聞きに行ったものの・・・
結果は「何だか信用して大丈夫なの??」という残念な感じに。
当初、200万ほどの金額だったのに父の見積もり??は最終的に400万
本当に治るのだったらいいのだけど・・・一括振込み 一切返金はナシ。う〜む。
ションボリ帰ってくるものの、やっぱりそんなにうまい話はないと言う事なのでしょうか。
採血して初診料を払った父は「あ〜血がもったいなかったぁぁ」って
でも、あきらめないで何か治療法を見つけよう!
秋田に帰った父と入れ違いで今度は甥っ子たちが仙台に。今年無事に高校に合格した甥っ子。
部活が始まるともう仙台なんて遊びにこなくなるでしょう。今のうちに沢山遊びに連れて行ってあげないと
ちびっこチームは「湖畔公園に行く!動物園に行く!」と張り切っているけどお兄ちゃんはやっぱりショッピングだよね〜 春から高校生。まぶしすぎるっ
甥っ子や姪っ子のお世話をしながらにぎやかに子ども達に囲まれていると私も年をとったな・・何て考えてしまうのです。子どもの頃、お父さんの首にぶら下がって「あそこに行きたい!ここに連れてって!!」とおねだりしていた頃は遠い昔なんですね〜 今は同じように「あそこ連れてけ!これ食べたい!!」と子ども達に振り回されている。
これも幸せなんですね

秋田新幹線こまちの中で・・

秋田の父から相談!!
「快気祝いにさ〜イオンの商品券準備したんだけど、仙台にジャスコあるかな?」
びっくりして「誰の快気祝い??」と聞くと自分だと自信満々に応える父。
父が言うにはがん細胞はみっちり残っているけど、退院して普通に生活できるんだから治ったと同じだって。
なるほど。新薬がたまたまよく効いているのです。年末、無事にお正月を迎えることは出来ないかもと話していた父だったのに。それが今ではパソコン教室に通ったりもしているのです。
本当に奇跡のよう。誰に感謝したらいいのかな。元気に笑っている父に私も勇気づけられる。
ガンも末期の末期で余命わずかとあきらめたときもあったけど、今笑っていられる時間を大切にしていきたい。
暖かくなったら仙台に来るのを楽しみにいしている父。私の娘たちもそれはそれは楽しみにしているのです。
私も父のように強く、どんな時でも笑っている人になりたいと思うのです。
さて、このブログ何処で書いてるでしょうか??実は秋田新幹線こまち(土砂崩れで3時間も停まってる・・)
今日中に仙台に戻って準備して、明日は東京出張だったけど間に合わないかも(T_T)
お仕事関係の皆さま大変申し訳ございません。でも、どうにかこうにかあきらめない!!
もし間に合わなかったら・・明日はお雛様出して雛祭りしなさいってことかな?
娘たちが幸せな結婚出来るように雛人形飾るのもいいかもね。