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 これからの「にこサポ」①

さて、またまた大人げない態度で支援団体に「災害ボランティア」からの撤退を宣言してこれからの計画を真剣に考える。
そもそも「暮らしをもっと快適に」「家族の次に頼れるお手伝いさん」この二つを掲げ始まった あおばサポート わずか三か月で被災し、小さな事務所に集まってきた高齢者・子ども達・・その問題を解決するために団体を二つに分け、私は子ども達をサポートする「にこにこサポート」を始めたのです
小さな託児所で0〜12歳の子どもを引き受け一日14時間以上の託児。たまにお手伝いに来てくれる友だちもいたけど、基本的に責任をもって働くのは私一人。本当に大変だったのです
そんな時、佐藤さんと知り合いました。表の看板を見て「是非お手伝いさせてください」と 実は最初はお断りしたのです。働きたいならボランティアではなく、しっかりと就職先を見つけた方が良いのでは?と
それでもここで働きたいと。津波でご主人を亡くしたばかりでどうしても小さい娘のために働かなくてはいけないとおっしゃいました 今考えればそれが事実ではないとわかるけど、その時は鵜呑みにしてしまったのです。
その後、そんな被災された女性の就労支援も考え猛烈に頑張ったのだけど、もしかしたらいつか方向性がずれていたのかも。
私が応援したいのは被災した、していないに係らず「一生懸命子育てするお母さん」なのです。
だから、佐藤さんの事だって色々な偽りをきちんと話してくれていたらすぐに「クビ」と言うことだってなかったのです。高校を卒業していなくたって、被災していなくたって、出身地まで偽らなくとも一生懸命子育てしている姿は評価していたのに。私だって同じ立場ならそうしたかもしれない。子どもを守るためなら嘘だってついたかも。それがお母さんなんじゃないかな。まるで夜逃げのようにさよならも言わず、出ていかれることはなかったのです。
だから、今でも佐藤さんのお子さんの事は心配。どうして自分の子、佐藤さんの子分け隔てなく一緒に育てていけなかったのか。まだ、自分に出来ることはあるんじゃないか。
でも、起業を目指す以上、ボランティアではないのです。
にこサポ会員さまに安心してご利用していただくためには、スタッフのクオリティは保たなくては
もしかしたらよいタイミングでにこサポを卒業してくれた。今はそう考えているのです。

震災ボランティアから起業へ

昨日はラッシュジャパンのチャリティポットの記念イベントに参加するため横浜に行って来ました。
新しい学童託児施設、カフェを作ることが出来たのも各支援団体のお蔭なのです。
その中でも一番最初に私たちの活動に理解を示し話を聞いてくれ支援してくださったのは企業でした。
震災直後からの託児業務。そこから始まった震災ボランティア。結局二年間活動して思ったことは、資金源のない団体にボランティア活動の継続は出来ないのだということ。助成金の申請、追加請求などで電話すると常に決めつけたように疑い、言質をとられるような話し方。理解を求めることが苦手な私には我慢できませんでした。そう思うならそう思ってくださいと。ココがいけないのだ・・(涙)
それなら、今までの活動実績を活かして「起業」します。仙台は被災地ではない。そう言った人。
私が応援したいのは一生懸命に子育てするお母さんなのです。前を向いて歩き出した人をサポートするため。
被災者であろうとなかろうと。お母さんの笑顔を守るための「子育てサービス」の必要性
震災直後から訴えていた「復興=働くこと」仕事を発生させ賃金を支払うことの大切さ
しかし、任意団体である私たち、女性である私たちがそのような事を言っても回りからは叩かれるだけ。
震災直後は「助成金を人件費に回すなんてとんでもない」と言われていたのです
(今は、赤い羽根でも人件費が認められています)
震災から一年半たった今。経済的な自立運営を目指す私たちと「震災ボランティア」の方向性の違いにようやく気が付き私たちは起業を目指すことに決めました。非営利とは何も生み出してはいけないということではありません。
それを勘違いしている人が仕分けしているとは・・・(どの団体とは言いません)
せっかく貴重な助成金で完成させたこの場所を今終わらせるわけにはいかないのです。
何かにつなげたいし、誰かに託して、それがより社会貢献につながるなら喜んでそうします。
立ち上げ当初の事業計画を読み、振り回されない活動に戻り、子育てが楽しくなる街仙台を目指して
被災者の支援はほかの団体が引き続き継続し、新たな団体も出てくるでしょう
私たちが応援したいのは一生懸命子育てするお母さん。有職・無職にかぎらず頑張るお母さんを応援することなのです。
女性が出産してからの生き方。その事についてずっと考えていたこと。
少しずつ理解を深め活動を広げていこうと思うのです。
今まで支援してくださった赤い羽根共同募金に心から感謝申し上げるとともに、震災ボランティアの託児業務を終わらせることをご報告いたします。
にこにこサポート 木皿 美奈子

緊急のお知らせ!

にこサポ会員さま。ご迷惑をおかけします。パソコンのメールが今週いっぱい使えません トホッ
緊急の場合は携帯のメールアドレスか、電話連絡にてお願いいたします。
託児の変更、シッターの変更も同様によろしくお願いいたします
フェイスブックでも連絡可能です
緊急のお知らせでした。
にこにこサポート 木皿 美奈子

母の戒名について教わったこと

母は、私が24歳の時、亡くなりました。
心を病んで15年もの間入退院を繰り返し、結局病院で亡くなった母。10も年が離れた弟を出産した事がきっかけ。働き盛りの父はほとんど家に居ることはなく、産後の肥立ちも悪く、そのまま育児ノイローゼから重いうつ病を患ったのです。
母が亡くなった時は自分と父を責めました
「お父さんがお母さんを殺したんだ」そんな暴言まで吐いてしまった
その時は本当にそう思ったし、母を助けられなかった自分の事も激しく責めて落ち込む毎日。
そんな時戒名を付けてくださったお寺さんから教わったことが今の私を支えているのです
如雪観法 
母の戒名についている文字。この世は深い悲しみと憎しみにあふれている。しかし、真っ直ぐな心でその問題を見つめること。決して逃げずに、立ち向かっていくこと。ただ、人間の心は弱く、くじけそうになることも。その時一瞬だけ真っ白な雪が振り美しい世界を見せてくれる。そうして心は癒され、また問題に立ち向かう強い力をつけることが出来るのだって。辛いけどその繰り返し。生きるとはそういうことなんだって。
本当にそうだな。壁にぶちあたるたびに(最近は激突か??)その言葉を思い出す。
もうすぐ雪が降る。深い悲しみも悩みも一瞬忘れ母の笑顔を思い出すでしょう。
私はまだまだしなきゃいけない事がある。子育ては本当に大変。一生懸命に頑張るお母さんを応援するために立ち上げた「にこにこサポート」子どもはお母さんの笑顔が大好きなんだってこと。その笑顔を守るための子育てサービスの必要性。
今ここから始まる「にこにこサポート」
皆さん、ご心配かけました。もう大丈夫。再生してよりパワーアップした「にこサポ」
子育てが楽しくなる街仙台 にこサポ会員さまこれからもどうぞよろしくです!

秋晴れの週末に思うこと。

気持ちよく晴れた日曜日。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
昨日は娘の小学校の運動会 前日夜カフェを開き少々お疲れモードだったけど
早起きしてお弁当作りにあたふた
運動会
冷凍枝豆を使ったものの子ども達のリクエスト通りから揚げも卵焼きもしっかり手作り
それに定番の「具なしのり巻き」
運動会2
おなじみ「あおばサポート」のわかなちゃんとお弁当を広げてランチタイム[emoji:v-271]
お互い娘が幼稚園からのお付き合い。もう8年になるんだな・・・
あっという間だったような気もするけど、二人の家庭環境は大きく変わり[emoji:v-403]
それでも、子ども達が毎日元気に笑顔で過ごしてくれることに本当に感謝なのです。
最初に出会った時は私もわかなちゃんも専業主婦。その事になんの疑問も不満も感じてなく
家族でバーベキューに行ったりしてたっけ。
結婚をしたら家庭に入り、子育てが自分の仕事だと疑わなかった日々は遠い昔
もしかしたら、私の選択が子ども達にとってベストではなかったかもしれない。
何度も「お母さんなんか大嫌い」「お仕事がそんなに大事なの?」と泣かれたけれど。
今では「今のお母さんが好き」と言ってくれる娘たち。
まだまだクリアーしなくてはいけない問題は山積み。
引っ越しのお片付けもおわっていないし・・・いやいや、そんな小さな事ではなく
「出産してからの女性の生き方」
そんな問題について今、じっくり考えてみようと思うのです。

にこにこサポートひかりの子ども園お引越しのお知らせ

みなさま、ご無沙汰しておりました。
あおばサポートから始まった小さな託児施設。ひかりの子ども園(旧にこサポ)が、現在のマルクマリーカフェ&にこサポの三階にお引越しすることになりました。
震災三か月前、子育て支援、生活支援を行う団体として立ち上げたあおばサポート
震災直後、高齢者、子どもの預かりで小さな事務所ではどうにもこうにも対応することが出来ず、それぞれ支援の対象を特化し団体を別けることに。そして誕生したのが「にこにこサポート」
震災から三か月、毎日一人でもくもくと託児業務をしていた思いで深い場所なのです[emoji:v-398]
お盆明け、様々な事情が重なり、本当に悩んだのだけどもう一度初心に帰って出直し!
本当に必要な支援を続けつつ自分たちの団体をよりしっかりとしたものに、自立運営をめざしてがんばる。
そう決めたのです。
まだまだ私たちには市や県からの委託は難しくても、任意団体だから出来る柔軟な対応
「断らない」をモットーに目の前にある問題に寄り添った活動。
それを叶えるには、経済力をつける事。簡単ではない事だけどしっかりと見えた気がします。
震災から一年半。私を応援して支えてくれた大家さん、地域の方々、親身になって相談に乗ってくださった不動産屋さん。まだまだあぶなっかしいかもしれませんが、どうぞ見守っていてくださいね[emoji:v-344]
信頼を得る、地域で必要とされる。
まだまだ努力が足りないけれど、一生懸命進んで行きたいと思うのです。
新しい物件を貸してくださった大家さんに、心から感謝申し上げます

まみたん創刊号に掲載♪

ハロウインクッキ
マルクマリーカフェのクッキーも衣替え♪一足お先に「ハッピーハロウィン!」
マルクマリーカフェのクッキーはシンプルなナチュラル素材を厳選。マーガリン・ショートニング・添加物は一切不使用。素朴で優しい味。もちろんお子さまにも安心してお召し上がりいただけます。
まみたん創刊号がいよいよ配布になりました
にこにこサポートの子育てサービスとマルクマリーカフェのメニューなどが、紹介されています。
読者特典もございますので、是非皆さま遊びにいらして下さいね!
創刊号にあたって、仙台市長 奥山恵美子さまからのお祝いのお言葉も。
市長の記事によると、仙台は転勤族が多く、孤立しながら子育てを一人で抱え込んでいる事を気にかけている。
「母親が働いている子どもは保育所、働いていない親の子どもは幼稚園」といった垣根をなくしたい・・
まったく、私も同じ意見。垣根をなくすというより、選択肢をより広くしたいと思うのです。
必ずしも保育園は働く親の子だけが行くところ。働いていたら幼稚園は無理ではなく、その子にとってどこが一番合っているかをしっかり見極めるのは親の大事な仕事だと思うのです。もっと自由に選択できたら。
そして、仙台に避難されているお母さん。一日も早く仙台でお友達を作り、孤立することなくのびのびと楽しく子育てほしい。そんなサポートが出来るよう私たちも、日々考え活動しているのです。
同じ考えを持って活動していたとしても、私たちの声も存在すら市長のお耳には入らないでしょう。
託児ボランティアというものはそういうものなのです。
震災後、需要が増えいている産褥シッターの請負先がなぜ「介護保険事務所」であるのか。ヘルパーには沐浴指導の講習はないことへの疑問。産褥シッターを利用する人の声からも「自分と同じか少し上の世代のシッターさんを希望したい」「せっかくの機会だから、仙台の子育て情報も知りたいのに・・」若いヘルパーさんなら可能かもしれないけれど、ご希望の年代の方を派遣する事は「介護保険事務所」も大変なのです。
そんな時、比較的若い世代も活躍する、仙台託児ボランティア団体も委託を受けられたら。そう考えてるのだけれど、全く届かない私たちの声。
一生懸命、考えて働きかけてもどうにもならない事への憤り。
でも、あきらめない。「子育てが楽しくなる街仙台」を目指して笑顔で問題をクリアーしていくのだ!
それいけ!にこにこサポート

産婆さんの夢パート③

皆さまご無沙汰しておりました。一週間たってもまだまだ募る産婆さんへの憧れ[emoji:v-398]
本気で仙台の看護学校を調べていました。ミナッチ、助産師への道。ご報告できるのをお楽しみに!
私は仙台で娘たちを生んで、実家に里帰りしたのですが、すでに母は他界。
おばあちゃん流子育てで産褥期間を過ごしたのです。
まず、おばあちゃんが言ったことは良い母乳を出すためにしっかりと栄養をとること。
これは、美味しいものをたっぷり食べるのではなく、粗食に徹する。
五分づき米に味噌汁。少々の野菜・・まるで宮沢賢治ワールドのような食事。
でもそれが良い母乳をつくるモトとなるのだと。友達がお見舞いに来て、隠れてケーキを食べていたのが見つかって激怒されたものです[emoji:v-406]
そして、それ以外はゆっくりと横になっている事。テレビ、水を触ること(なるべくね)日に当たることも禁止で携帯も没収・・・
でも、その時、夜中に長女を授乳中こっそりテレビをつけて見たのがアメリカの9.11テロだったのです。
最初は映画かと思いました。新聞を調べてもそんな番組はないし。まさか、飛行機がビルに突っ込んでいるわけがない・・・そう思ってやっとテロだと解った。たった一人の人間がこの世を去る事で何人もの涙が流れる。この事件で涙を流すことになるひとは何人いるのだろう。そう思うと涙が止まりませんでした。
きっと、リアルタイムでその映像を見た人が同じ気持ちだったと思うのです。
長女の出産ではいろいろな事を学び、いろいろな事を真剣に考える、印象深い一か月でした。
おばあちゃんの産婆活動?により、心も体もすっきり元気になって床上げ[emoji:v-353]
仙台に帰ったら、お手伝いしてくれる人はいないのだから、しっかりと子どもを育てて頑張りなさいと送り出してくれました。
21日間、ほとんど寝て過ごし暇でひまでどうしようもなかった私。娘を抱え使命感に燃え仙台に帰ったのでした。
それからが本当の子育てとも知らずに・・[emoji:v-393]

とも子助産院を訪れる②

産婆さんに憧れる私。お産の話はまだ続くのです・・
私が娘を産んだのは、逓信病院でした。妊娠初期から切迫気味だったため(その前には4回の流産の経験があり)
ほとんどの妊娠期間、入院していました。途中子宮頚管を結ぶ手術をしたりとなかなかハードだったのです。
24時間の点滴、4人部屋のストレス・・・というのは実はあまり感じず、みんな同じ身の上の妊婦さん
毎日和気あいあいと過ごしていたのです。少しずつ大きくなるお腹の赤ちゃんにみんなで喜び合い、中には流産してしまい、退院していく仲間もいたのですが・・・2か月ほどたってまた妊娠して戻って来て、手を取り合って喜んだりと、結構楽しく過ごしていたのです。
面白かったのが逓信病院の助産婦さん。私たちを「お妊婦さま」と呼んで、それはそれは甘やかして?くれたのです。理由は一つ。赤ちゃんが生まれたら、それはもう大変。だ〜れも手伝ってくれるとは思うなかれ。母になる覚悟を決め24時間赤ちゃんのために奉仕するのです!!と教えられました。だから、せめてお妊婦さまである今、うんと自分のために時間を使い、ゆっくりしなさいと。う〜ん 深い。
そんな幸せな?お妊婦時代を過ごした仲間は今では年賀状を交換するだけになりましたが、やっぱり忘れられない大事な友達でもあるのです。
いつも沢山の人に囲まれ、孤独でも不安でもなく入院していたものの楽しく過ごせたお妊婦時代は大切な思い出です。そして産後は実家に帰りおばあちゃん流子育てをしっかり叩き込まれ・・・これはパート③で。
今日、訪問したとも子助産院も、私が好きだった逓信病院の雰囲気、青森の産婆さんを思い出すとっても和やかな雰囲気でした。健康な妊婦さんだったら次回(あるのか??)はここで生みたい!と強く思いました
仙台のお妊婦さま。是非見学に出かけてみて下さいね[emoji:v-398]

泉区のとも子助産院を訪れる①

今日は泉区の「とも子助産院」を訪問してきました。
妊婦さんにも少しずつ「にこにこサポート」を知って頂くため、助産院や産院を訪れ、パンフレットを頂いたり、置かせてもらったりとしっかり営業活動をしているのです
赤ちゃんが生まれてからは24時間お母さんは大忙し!いざと言う時子育てを手伝ってくれる「家族の次に頼れるお手伝いさん」にこにこサポートへのご入会手続きはご出産前がおすすめなのです
ところで、私はおおよそ40年前生まれたわけですが、じつは母の実家青森で産婆さんによって取り上げられたのです。青森の家にはお産するお部屋があって(ごく普通の仏壇間なのですが)私の従妹もそのお部屋で生まれています 母もそのお部屋で生まれています。親子二代お世話になった産婆さんなのです。
生まれるとタライで産湯につかり、産後の肥立ちまでの21日間、毎日産婆さんが通ってくれます。そして沐浴やら母乳の出をチェックしてあれこれお世話を焼いてくれるのです。写真が残っているけど、おばあちゃん、母、私、産婆さん。何ともゆったりと穏やかな雰囲気なのです。
小学生のころ、生まれた時の事を作文を書く授業があって家で生まれたことを書いたら、みんなに笑われ、先生に「うっそ〜病院じゃないの?」と言われてちょっと嫌だったけど、今はいい思い出。
それに、産後の肥立ちというのは、女性にとって本当に大事でなるべく赤ちゃんと横になり静かに過ごし、良い母乳を出すための昔っからの食事(おばあちゃん担当)をとって体を回復させるものなんだって教わったのです。
今日訪れたのは、まさにそんな雰囲気の助産院 初めて伺ったのだけど、おばあちゃんの家のような感じ。
残念ながら先生にお会いすることは出来ませんでしたが、次回は予約をして是非お話を伺ってみたいな〜と思いました。
本当に素敵な助産院で、私は今産婆さんに激しく憧れているのです
来年は学生かも??40代で助産師になり、情熱大陸に出てたりして・・あぁ妄想が止まらない