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日本人が忘れていたこと。

震災から11日。電気も水道も使える。ガスはまだだけど、どうにか生活は出来る。
買い物だって並べば食材は手に入る。
今のところ不自由はない。それどころか少し余裕も出てきた。
親戚や友人の家も車も流されてしまい、亡くした友達もいるけど、とにかく時間が経過するのをじっと待った。辛いし悲しいけど、それしかできなかった。
そしてふと思い出して「あ、もういないんだ・・」って、また悲しむ。その繰り返し。
それが人を亡くすということ。
時間の経過だけが残された人にとって唯一の救い。
とにかく時間が過ぎるのを待つ。
この震災で生き残ることができた私たちは、沢山のことを考えた。
日本人が忘れていた「人を思いやる気持ち」と支えあい協力し合い希望を持つこと。
こんなに多くの犠牲を出して初めて気が付くなんて、本当に私はバカだ。
多分、今生きている人の多くは一つくらい反省したり、後悔する気持ちがあるだろう。
心のどこかでこのような恐ろしい震災が起きてしまったのはやっぱり天罰だったのだろうかって・・。
この先、日本が復興に向け全力で走りだしたとしても、今のこの気持ちは忘れない。
たとえ輝くような未来を築けたとしても、それには多くの犠牲があったことを忘れない。
時間は生きている私たちには優しく、犠牲者にとって残酷なものかもしれない。

子育て支援の問い合わせ

震災後も変わらず子育て支援を続けているあおサポ。
ところがこの震災で保育園などにお預かりできなくなったお子さんが大勢いるそう。
預け先がなく本当に困っておられるお母さんがたくさんいるのです。
そして、一番お問い合わせが多いのが「学童のお預かり」
今までは小学生の子どもは一人でお家で留守番していたけど、余震が心配で子ども一人置いていけないと言うのです。
保育園児はまだ預け先があるからいいけど、小学生のお子さんは本当に困っている。
児童館はもともと定員一杯・・自由来館だと食事も持たせられないし何より心配・・
そこで、サポーターと話し合い、学童のお子さんを預かる方向で早急に考えたいと思います!!
ただ、あおサポは七畳一間の一軒家。そこで動きの活発な小学生の子どもをお預かりできるか・・
水や食料をどうするか・・
今、お預かりしている小さなお子さんに負担がかかるようなことはないか・・・
とにかく、お問合せの声に応えられるように頑張ってみます!!

藤崎開店!!

仙台市民大好きな藤崎が開店♪
地元の底力を感じます。
私も並びたかったし、お買いものしたかった。
だけど今日も生活支援のお仕事。
それでも藤崎が開店ってそれだけで嬉しい。たとえ限られたスペースだって
藤崎には美味しいものがいっぱい!!こんな時だからこそ喜びを分かち合いたいし
美味しいものを食べたい
長時間並ぶ中、お隣さん同士「どうだった?変わりない?何か困ったことは・・」
なんておしゃべりしながら並ぶのも生きているからこそ。
仙台市青葉区。
私たちは協力し合い助け合いながら絶対に立ち上がりま〜す

戦争よりは・・

おなかをすかせた子どもたちのため、午前中はせっせと買い物。
今日はあおサポのすぐ近くのフレッシュくろだにお買いもの。
もう大型スーパーにはしばらく行きません。
40分も並ぶとすぐお買いものできそう♪ラッキー!!
私のすぐ後ろにおばあちゃんが並びました。
顔中しわだらけだけど、なんともいえない素敵な笑顔。しっかりした足取りもお元気そう。
おしゃべりしながら待つことに。
ふぅ〜ん・・大正9年生まれって・・・「91歳!?」しかも「一人暮らし!!」
ご家族は近所に住んでいるけどご自分の意志で一人暮らしを選択されているそう。
なるほどそれはわかる。でもでも91歳って!!どっひゃ〜
お買いもの水汲みすべてご自分でされているそう。
確かに震災後の生活はまだ大変。私たちの住むところは電気だけ、復旧している。
洗濯やお風呂はまだ無理。買い物も毎日長蛇の列。欲しいものは手に入らない。だけど
「戦争に比べたらまだまだ幸せですよ」って。
終わりがいつなのかわからない戦争。情報なんてもちろん入ってこない。
ある日突然人の手によって命が絶たれてしまう戦争。
今私たちの生活も、目に見えない放射性物質の恐怖はある。だけど情報は入る。自分で調べることもできる。
「近所で買い物ができて、住むところがあり、生活が出来る。年をとっていろいろ経験したけど、これくらい何でありませんよ」って。
そうだよね。ガソリンがないこと、お魚お肉お米が手に入らないことにイライラするなんて恥ずかしい!!
ご近所なんだもん。また会えるよね♪おばあちゃんありがとう!!

仙台で生きる

おおげさだけど、仙台で生きる。
いろいろ考えた。福島から降る放射性物質のこと。
私の住むところは原発まで90キロ離れてないでしょう。自分は良くても気になるのが私の子どもたちのこと。
私の実家は秋田なので、出来れば秋田で一か月くらい過ごしたほうがいいって。
だけど、私の母親は早くに死に、もういません。父親の後妻さんが家にはいます。
決していじわるな人ではありません。もし、私たちがいったら適当に仲良くやっていける。
食べるには心配なく、仙台で働く夫からお金を送ってもらい、子どもたちの世話をする。
だけど、私はそんな生活は望みません。
ちょっと前の私だったらすぐに父親に泣きついて迎えに来てもらい秋田でのほほんと生活していたと思う。
今の私は仕事が大切。命の次に大事!!
未来を託す子どもたちのため、一生懸命働き、将来の夢をかなえてあげたい。
今年の1月11日。あおばサポートは始動したばかり。
4月までは仕事はゼロと覚悟を決めて始めた仕事。
ところが3月には10人の会員さんが入会してくれた。
今は地震、原発事故で家から離れることはできない働くお母さんたち。
だけど、いざ復興!!となったらきっと今まで以上に忙しく働かなくてはならないでしょう。
たとえ女性でも。
その時私が秋田に帰ってて「あおばサポートはしばらくお休み」なんて言ったら信用を失ってしまう。
それだけは絶対にできない。
今は精一杯頑張って仙台で生活し、お仕事にそなえます。
テレビの情報、政府の会見じゃなくて、自分で調べて考えて出した結果。
だから自分の責任。
それにしても、普段お世話になってる水の宅配 ダイオーズ
ダメもとで電話したけど、仙台営業所閉鎖って何??
一年契約で、途中解約すると5千円の違約金発生なんだけど、この場合ダイオーズが
私に払ってくれるわけ?(そんなワケないない)
いつかダイオーズも越えてやる!!

ありがとう。

今朝は四時間ならんで、洗濯用洗剤とサランラップ。お豆腐一丁あぶらあげ。
お豆腐と油揚げは思いがけなく近所の小さなお豆腐屋さんで購入できてほくほくだったけど
これじゃあまりにも情けない・・トホッと思って玄関を開けると
「お母さん!!○ちゃんがこれもってきてくれた!」って紙袋いっぱいのカップラーメンやお菓子が♪
え〜この食料が手に入らない時になんでまた??
あわててお友達に電話すると、どうやらご主人の会社が外資系で支援物資が配給されたそう。
それで私たちにも分けてくれたんだって。
でもでも、こんなにいいのぉぉ??
「これから一緒に頑張って行くんだもん。よろしくねって意味でもらっといてっ」って(涙)
友達っていいね。こんな単純な言葉しか出てこない。
○ちゃん!本当にありがとう。私絶対に今日のことは忘れない。
そして、いつか○ちゃんが本当に困ったときは私がどど〜んと助けられるように頑張る!!
頼りない私だけど、これからもよろしくね!!

豆腐は豆腐屋

地震から七日目。福島原発の事故。放射性物質は気になるけど、自宅にこもってから
ずっとパソコンで調べていたら、仙台市内に住んでそんなに怖がらなくてもいいことがわかった。
どうしても広島の原爆による被爆をイメージしてしまう。
被曝という言葉に恐怖感を持ってしまうけど、よく考えたら放射線は日常的にあびているもの。
みんなが憧れるパイロットやCAは常に仕事で被曝しているとも言える。
自分の判断で子どもたちはまだ外には出さない。だけど、今日から家族のために買い出しにGO!GO!!
まずは、洗剤を買いにツルハ薬局に。八時半から並ぶのでまずまず先頭のほう。
ところが!九時半ころに「今日は営業しません!!」って。がび〜ん
そして急いで小田原のツルハに(しつこい??)
そこはすでに長蛇の列。だけど、めげない!!小一時間ほど並んでようやく店内に。
だけど、洗剤は手に入ったけど、食品はカップラーメンくらい・・
しょうがないので、家に戻る途中に小さなお豆腐やさん発見!
一人一丁ずつとあぶらあげを売ってくれました。
腰の曲がったおばあちゃんが渡してくれたお豆腐は本当においしそう!!
そういえば、大型スーパーや薬局(ツルハではありませんよ〜)寒さに耐え並んでいるお客さんに
若い店員さんが必要以上に大きな声であーだこーだ命令口調でわめきたてる。
まるで、自分に何か特別の権限があるかのような大柄な態度で。
そんな声にじっと耐え、中に入ると店舗だけ大きくて中身はなにもない・・
小さな商店のありがたさが身に染みました。
そうえいば子どもの頃。ピーコックや紀ノ国屋など、便利なスーパーは近くにあったけど
母は好んで九品仏商店街でお買いものしてたっけ。手提げのついた赤いかごをぶらさげて。
台所道具は金物屋。本は本屋。お肉はお肉屋さん。そして帰り道はお寺の前にある
参道というあんみつやさんに寄ったりして。
あの頃の生活は不便でもなんでもなく、楽しくて豊かなものだった。
週末に大型店舗に車で乗り付けて買い物より、日常の歩いて行く買い物のほうがずっと心に残っている。
震災後の不便な生活の中でようやく気が付くことができた。
まだ、間に合うのなら子どもたちとそんな生活がしたい。

14日月曜日。生活支援の仕事

地震から四日たった、14日。泉区南光台のお宅で生活支援のお仕事が入っていました。
広いお宅で、土鈴やら焼き物お人形が所狭しと綺麗に飾られていたおうちでした。
ご高齢の夫婦二人暮らし。中は割れ物壊れ物の破片で大変だろうと、覚悟して軍手をはめて
ピンポンをおすと・・
玄関に飾ってあった焼き物や土鈴もほとんどそのまま。
いつものようにリビングでくつろいでいるご夫婦の安否を確認できて本当にほっとしました。
割れたものも少しあったけど、どうにかこうにかお二人で片付けたそう。
私たちは一時間ほど二階の片づけをして帰ってきました。
同じ仙台でも場所によってだいぶ被害状況が違います。
もともとしっかりとした建て方のお宅だけど、道路も割れやひびはあまりありませんでした。
ただ、食料と水は不足しているし、これから手入る目途もたっていません。
片づけが終わって、リビングで休み福島の原発のニュースをみんなで見ました。
その時、庭に目をやると、まるまると太った可愛らしい雀たちが遊んでいるのが印象的でした。
いつも、お米など庭にまいて鳥たちに餌をあげているんだって・・
またそんな生活に戻ることが出来るのかな?
ふとそんな事を考えてしまいました。

地震当日のこと。

地震当日の日。あおサポにこれからお預かりする二か月の赤ちゃんと、お母さんが遊びにきていました。
このご利用会員さんは、ほんとにご近所さん。これから長いお付き合い
今からお母さんは、ご実家の栗原にちょっと荷物を取りに行くのだそう。
その間あおサポで、赤ちゃんをお預かりすることになりました。
その後、地震が起こったのです。
赤ちゃんのお母さんはもう栗原に到着している時間。
私は若林区のナッツワールドに買い物に食品の買い出しに。帰りの車の中で地震にあいました。
若林区の自衛隊の前。車のハンドルがグラリと大きく右にとられました。
「地震だ!!」
車を止めて後部座席に乗っていた娘を抱き寄せ言い聞かせました「大丈夫、大丈夫だからね!!」
電信柱は大きく揺れ、道路は波打っていた。マンションから慌てて出てくる人、歩道を歩く人はしゃがみ込んでいる。
「とにかくあおサポに戻ろう」車を発進させました。
途中の坂下交差点ではコンクリート破片が落下して、小さな洋品店はガラスが割れ半壊。フォレオの大型家電量販店は建物自体が傾き、ガラスが二階から割れ落ちて散乱している。
信号はもちろん機能していない。混雑が始まる前にとにかく戻らなきゃ。
ドアを開けるとキッチンの棚が倒れ食器が散乱してレンジや炊飯器が転がっていました。赤ちゃんを抱いたロコモコが真っ青に。
幸いにも部屋にはベビーベットとパソコンくらいしか置いてなかったので落下物などで怪我することはありませんでした。
だけど栗原に行ったお母さんからは連絡はありません。すでに携帯は役に立たないものに。
私とロコモコの子どもを小学校に迎えに行かなくてはいけません。
それぞれ役割分担をしてどうにかこうにか、みんなであおサポに集合することができました。
赤ちゃんも静かにミルクを飲んで眠っています。
電気水道、ガスは止まったまま。だけど卓上コンロでご飯を炊くことが出来ました。
おにぎりにお味噌をつけただけなのに、子ども達は喜んで食べてくれた。
夕食を済ませたあと、夫が仕事から戻り、これから名取市閖上にある実家に自転車で向かうと告げられました
その時初めて震災の本当に被害を知りました。
ラジオもなくとにかく自分たちの事で精一杯で、二次災害まで考えられなかった。
「ゆりあげの家が流された?沖で遺体が上がっている?」
とても信じられませんでした。
最初は夫を止めたけど・・もし、私も自分の親だったら絶対に行くと思う。
たとえ現場までたどりつけなくたって、探しに行く。
そう思って送り出しました。
夫とゆりあげに住むお義母さん、大勢の親戚の無事を祈りながらとにかく一晩。私が子ども達を守らなくては・・
余震が続く中、宮城野区の方の赤い空を不安な気持ちでずっと見ていた。
ロウソクが倒れないように。今火事が起きたら大変なことになる。
ほとんど眠らず、いろいろな危険を想定しながら・・地震よりも何か恐ろしいことが起きる予感がする。
私とロコモコ、子どもたちと赤ちゃん。7人で朝を迎えました。