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豆腐は豆腐屋

地震から七日目。福島原発の事故。放射性物質は気になるけど、自宅にこもってから
ずっとパソコンで調べていたら、仙台市内に住んでそんなに怖がらなくてもいいことがわかった。
どうしても広島の原爆による被爆をイメージしてしまう。
被曝という言葉に恐怖感を持ってしまうけど、よく考えたら放射線は日常的にあびているもの。
みんなが憧れるパイロットやCAは常に仕事で被曝しているとも言える。
自分の判断で子どもたちはまだ外には出さない。だけど、今日から家族のために買い出しにGO!GO!!
まずは、洗剤を買いにツルハ薬局に。八時半から並ぶのでまずまず先頭のほう。
ところが!九時半ころに「今日は営業しません!!」って。がび〜ん
そして急いで小田原のツルハに(しつこい??)
そこはすでに長蛇の列。だけど、めげない!!小一時間ほど並んでようやく店内に。
だけど、洗剤は手に入ったけど、食品はカップラーメンくらい・・
しょうがないので、家に戻る途中に小さなお豆腐やさん発見!
一人一丁ずつとあぶらあげを売ってくれました。
腰の曲がったおばあちゃんが渡してくれたお豆腐は本当においしそう!!
そういえば、大型スーパーや薬局(ツルハではありませんよ〜)寒さに耐え並んでいるお客さんに
若い店員さんが必要以上に大きな声であーだこーだ命令口調でわめきたてる。
まるで、自分に何か特別の権限があるかのような大柄な態度で。
そんな声にじっと耐え、中に入ると店舗だけ大きくて中身はなにもない・・
小さな商店のありがたさが身に染みました。
そうえいば子どもの頃。ピーコックや紀ノ国屋など、便利なスーパーは近くにあったけど
母は好んで九品仏商店街でお買いものしてたっけ。手提げのついた赤いかごをぶらさげて。
台所道具は金物屋。本は本屋。お肉はお肉屋さん。そして帰り道はお寺の前にある
参道というあんみつやさんに寄ったりして。
あの頃の生活は不便でもなんでもなく、楽しくて豊かなものだった。
週末に大型店舗に車で乗り付けて買い物より、日常の歩いて行く買い物のほうがずっと心に残っている。
震災後の不便な生活の中でようやく気が付くことができた。
まだ、間に合うのなら子どもたちとそんな生活がしたい。