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わたしをとりあげてくれた 赤羽チヤさん

今月に入って家事代行を超える勢いでお問い合わせが増えた産褥シッター(産後育児ヘルプ) 沐浴の得意なシッターさん、上田事務局の活躍の陰で何とか乗り切りホッとする。
私も沐浴のスキルアップ!!と思うものの中々出番なし・・そんな時部屋で見つけた自分の母子手帳。昭和40年代生まれの私は母の実家で産婆さんの手によってとりあげてもらいました。私の従妹も母も叔母もみ〜んな赤羽チヤさんにお世話になったのです。産まれたお部屋もみんな同じ。
知る人ぞ知る「赤羽チヤさん」下北半島で50年もの間活躍した助産師さん。昔は馬に乗ってお産に駆け付けたんだって(私の時は自転車)
その頃母の実家では井戸からどんどん水が湧いていてそこから水を運ぶのは男の人たちの仕事だったそう(でも男の人は出産の部屋には近寄っちゃだめだったらしい)たらいにいっぱいのお湯を沸かし仕度を整えるおばあちゃんたち。七転八倒のお妊婦さまに寄り添う産婆さん きっといろ〜んな歴史があったのでしょう。残念ながら私は覚えていません
それでも誕生から一か月までの写真にはどれも赤羽さんも一緒に写ってる。私が小学生になっても毎年年賀状が届きました。もちろんおばあちゃんの家に遊びに行ったときには赤羽さんのお家にもご挨拶 帰りには近所の駄菓子屋でお菓子を買ってもらったり。
写真の中の母は絣の着物をきていつも微笑んでいます。きっと沢山の人に支えられゆったりと子育てしていたのでしょう(私も静かでお利口さんな赤ちゃんだったはず!!)
出産から一か月はほとんど寝たきり。赤ちゃんに良い母乳を出すことだけがお母さんのお仕事。水を触ってもいけないし字も読んじゃダメ。日に当たるなんてもってのほか。そういわれ「じゃ、トイレに行っても手を洗わないの?」とふてくされおばあちゃんたちに叱られたおバカなわたし。
昔の出産、子育ての良い所も大切に伝えていきたいなと思うのです。