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子ども達の笑顔。

震災後にこにこサポートで働くことになった、佐藤さん。
いつも笑顔で子どもたちに美味しいものを作ったり一生懸命託児業務を手伝ってくれます。
にこサポに面接に来た時に「実は津波で夫を亡くして・・」
と話してくれました(ご本人の了解を得てブログに書かせていただきました)
これから、お一人で5人のお子さんを育てていかなくてはいけないって。
力になりたいけど、そのようなご事情があるのなら、もっと収入になるお仕事を探さなくては・・と、つい余計な心配をする私に、どうしてもここで働きたいと言ってくれました。
それから三か月。最初はほとんど口をきくことも、笑顔を見せることもなかった小学生のおじょうちゃん。
今では私の娘たちと一緒に朝から晩までくたくたになるまで遊んでいます。
昨日は「にこサポに泊りたい〜」「もっと遊びたい〜」って。
手をつないだり、体をぴたっとくっつけてきて他の大人にも甘えられるようになりました。
石巻から転校してきて、にこサポに通ってくる女の子も
「にこサポめっちゃ好き」「にこサポのごはんも美味しい♪」ってはじけるような笑顔。
毎日12時間以上託児業務を続け、疲れもでてきたけど、昨日は本当に仕事を続けて良かったと思った。
子ども達が笑ってくれるなら何でもやってみよう。一人でも多くの子どもが笑顔になれるように。
問題はたくさんあるけど、必ずクリアーしてみせる!!
それいけ!にこにこサポート
by ミナッチ 本日の募金40円

今週は閖上に。

先週は石巻に出かけたので、今週はゆりあげに。
ここが、夫の実家があった場所。すべて撤去されていた。
ゆりあげ85
そして、500メートルほど離れたところに、瓦礫置き場が。
ゆりあげ86
大きなショベルカーが小さく見えるほどの瓦礫の山。だけど、この中に大切な思い出の品がたくさんあるんだろうな。あきらめなきゃいけないのだけど、アルバムやピアノがこの中にあるのかぁぁ
ゆりあげ87
そして、道路を挟んだところはまだこのように建物が残されたまま。
人が集まって活動している様子は全くありませんでした。
テレビ局の人が撮影にきていたかな・・
来年には閖上のお祭りが復活することを願っています。お祭りの日にご馳走になった手作りのアジのお寿司は忘れられません。親戚が集まってきた時に私がお茶を出そうとすると「気の利かない嫁で・・」とお義母さんがさっとビールを渡してくれた。みんな笑っていたな〜
国道にあるコンビニ。津波にのまれスケルトン状態だったけど「九月open!!スタッフ募集」とお店に
張り紙がしてありました。少しずつ人が戻ってくるといいな。海の近く。いろんな意見があると思うけどみんなが戻りたいというこの場所にまた明かりが灯ることを願っています。

お世話になりました。

今月私は離婚します。
理由は夫からの申し出。
「震災で家や船、車を失ったゆりあげの両親の面倒をみなくてはいけない」
「今まで通りの私たちの生活は保障出来ない」
たったその二点。
だけど、私は知っています。本当の理由。
出来るならここでその思いをぶちまけてしまいたい。
だけど、夫は私の愛する子どもたちの父親でもあります。社会的にも傷つけるわけにはいきません。
子どもたちは私が育てていきます。
娘たちが望むなら必ず大学まで出します。決し不自由はさせません。
夫はオットの人生があります。これから何年余生があるかはわかりません。
思う存分楽しんでください。
10年以上お世話になりました。
ごきげんよう。

キリン 午後の紅茶 × Q-pot. 「紅茶で笑顔を。」プロジェクト

お菓子教室が終わってもうひとがんばり!!
毎週木曜の夜にある娘のピアノのレッスン♪先生のご都合で今日に変更
いえいえ、先生のレッスンを受けられるなら何としても連れて行きますとも!!
ヨロヨロと娘を送ってレッスンの間、夕食のお買い物。
「食べたいものが何もない・・つっ疲れた
重い体をひきずり店内を歩いていると
午後ティ
私の大好きな午後ティー♪素敵なミサンガがついた、震災復興支援プロジェクト発見!!
缶紅茶の時からの大ファン
部活はいつも午後ティーを飲みながら黙々とリード作りに燃えていた・・(結局完成できずに、市販品を購入してたんだけどね)その当時は缶紅茶だったのです 年代が分かるわよねぇ
キリン 午後の紅茶 × Q-pot. 「紅茶で笑顔を。」プロジェクト
「Q-pot.」では、東日本大震災復興支援として、日本に笑顔をひろげる活動「紅茶で笑顔を。」プロジェクトを「午後の紅茶」と共同で展開することとなりました。
2011年5月16日(月)~2011年7月31日(日)に出荷された「午後の紅茶」全アイテムの売上の一部は、東日本大震災で被災した子どもたちの笑顔をつくる活動に役立てられます。
早速っ帰ってホームページをチェック♪やっぱりKIRINビバレッジ!素敵すぎる
娘とみんなでミサンガを付けてパチリ!!
ミサンガ
私も復興=働く事と信じてしっかりと希望をもって働く大人の姿を子ども達に見せていきたいと思うのです 
夕食は??って・・
おふくろさん
結局私の駆け込み寺。宮町のおふくろさんにしました
全部手作りのお惣菜!今日も美味しくいただきましたぁ
おばちゃん!ありがとう!!えへっ

大家さんありがとうございます。

にこにこサポートの隣にある大きな歯医者さん。
綺麗に花や木が植えられていて白い大きな建物です。
立ち上げ当初から何回かご挨拶にうかがったのですが、いつもタイミングが悪くてお目にかかることができませんでした。
それが最近になってちょくちょくお会いすることになって[emoji:v-398]
私たちが隣で子育て支援をしていることを話すと・・
「この物件でよかったらどうぞ使ってください」って。
え〜!!子どもの居場所、学童のお預かりってどの大家さんも嫌うんです。
建物が汚れるとか、子どもの声がうるさいとか・・とにかく不特定多数の人の出入りを気にする大家さんは多いのです。それなのに、いいのですか??25坪はある大きな建物。
にこサポを立ち上げるときだって何回断られたか・・そして、いまお世話になっている大家さんもとってもいい方なのです♪
「どうしようかな〜もちろん移れるなら移りたい。」だけど・・問題はいろいろあります。
悩んでいる私にサポーターさんが「隣に移るなら私、ここに住みます!!」って[emoji:v-405]
えっ!!そうか・・小松島に引っ越したいって言ってたもんね。
「一生懸命働きますから!!」って。う〜ん 私も出来ればそうしてあげたい。
このサポーターさんは津波でご主人を無くして、今は娘さんと二人暮らし。
にこサポのスペースで十分暮らしていけるし、すごく働く意欲を持っていてお手伝いしてくれる。
う〜ん・・よしっ!!七月までに結論をだそう。
がんばろう にこサポ!!

笑う門には福来たるパート2

本当に悩み深き今週。
一人悶々と悩み、今後の事、私情でも悩む。
苦悩している私にサポーターさんの一言
「笑顔でいれば大丈夫」
そうだよね。そうなんだ。ロコモコもいつもそう教えてくれていた。
笑う門には福来る
すっかり元気になってバリバリ仕事していたら(立ち直り早すぎ)何とお菓子教室の問い合わせ&にこサポ入会の件で電話が7件も!!
あっという間に一日が過ぎてしまった
やっぱり私は仕事が好きなんだ 仕事があることが本当に幸せだと感じるのです。
それからもう一ついいことが。決定したらブログで報告しま〜す♪

あきらめない。

日本一素敵なNPOつくりのためために西へ東へ
予想通りイバラの道ですなぁぁ
一生懸命伝えても失笑をかう一場面もあり・・同じ宮城県民でも分かり合えないのね。
だけど、ピカピカのエリートの冠をかぶって立派な肩書を持つ人に、仕事のない辛さは分からないもんね。
二十年以上前にも同じことがあった。バブルがはじけ就職氷河期の始まり。
そんな時に東京で学生生活を終え、就職浪人してしまった私は地元の職安に。
あっさり一言
「東京で遊んでたから、そんな目にあったんだ。自分の娘は高校卒業して大きな銀行に勤めてる」
おっしゃる通り。
だけど、時代が悪かったのではない。自分の力不足。だって立派に就職した人もたくさんいるも〜ん。
今、何を言ったって無駄。自分の足を引っ張ることにもなる。だからじっと我慢。
いつか階段を駆け上がって同じ土俵に立った時、上手投げを決めてやる!!
県庁に行ったところ、親切にいろいろ指導していただきました。
本当にありがとうございます。
にこにこサポート。ここがたくさんの人を笑顔にする場所だって信じている。
働く人、働きたい人を応援するのが私たちの目的。子育て中のお母さんの就労支援をするために。
笑われたって、バカにされたってあきらめない。
今日もがんばる。
by ミナッチ ブログお休みした間の募金180円

日本一素敵なNPOに!!

先週の出来事。
震災から一緒にがんばってきた仲間のサポーターさんが今月でにこサポをやめる事に。
「これからって時に力になれずに・・」
ううん。そんなことはない。
一緒にゆりあげにも行ってくれたし、炊き出しのおむすびも作ってくれた。
何よりいつでも笑顔で子どもたちに接してくれた。
その仕事に対して十分に報酬が出せなかった私の力不足。
本当にそう思う。
そしてチャンスがある人には十分にそれを活かしてもらいたい。
にこサポの理念は「働く女性をサポートします」なんだ
震災から3か月。地震直後から一週間は生きるために必死だった。
自分の子も人の子もなくおなかいっぱい食べさせてあげる事だけ考えていた。
とにかく、くず野菜を集め雑炊にして子どもたちに食べさせ、大人は三年前に賞味期限が切れた小麦粉を水で溶いたものを焼いて食べていた。
カップラーメンが1つあったって、7人で分けることは出来ない。
お米と小麦粉が本当に貴重だった(まるで黄金伝説・・)
だけど、夫を津波でなくし、5人のお子さんを育てていかなくてはいけないサポーターさん。
家、車を流され生活を立て直すのに必死なサポーターさん。
様々な理由で私たちの生活はすこしずつ変化しようとしている。
優秀な人がいつかない。これは日本全国のNPO法人で問題になっていること。
私だけが泣きたいんじゃない。
それならにこサポを日本一魅力ある、素敵なNPOにしよう!!
そうは思ってもやっぱりダメージ大
元気になるのは明日。
by ミナッチ 本日の募金40円

仮設住宅に行く。

にこサポ久しぶりの休日なので、今日は名取市箱塚桜団地に出来た仮設住宅に行って来ました。
五月三日の説明会のあと、叔母が住んでいた閖上一丁目の人たちがまとまって新しい仮設住宅に移動したそうです。
これは阪神大震災の時、高齢者、病気の人から優先的に仮設住宅に移動したため地域的な孤立が起きたので、今回はなるべくご近所をばらばらにしないように、引っ越しが始まったそう。
これなら、おなじみのご近所さんと離れることなく、新しい生活がスタートできるもんね。
私たちはいろいろな教訓に助けられ支えられ、復興の道を歩いていると思う。
叔母の家に着くとボランティアの方々が「緑のカーテン」を作る作業をしていました。
これは夏の暑さに備え、今から朝顔を植えて窓にツルを作り対処しましょうという作戦。

プランターにはお花も植えられています。
仮設住宅の中を公開。

冷蔵庫、エアコン、テレビ、レンジ、電気ポットにガス台完備で新しい暮らしのスタートには十分だと話してくれました。
4畳半と6畳のお部屋に、3畳ほどのキッチン。バスルーム、トイレもピカピカ

叔母もとっても元気そう。この前避難所におむすびを届けた時とは全然ちがう(3月28日のブログね)
そして来月から仕事も復帰するそう。本当に良かった!!
ゆりあげの義父さん、義母さん。そして叔母さんやその他の親戚。
無事だった人、そうでない人。たくさんいるけど、みんなが一年後「生きていて良かった」と笑顔でいられるように私も一緒にがんばる!!
瓦礫の中から一枚の写真が出てきました。ボランティアさんのお蔭で見つかった貴重な一枚の写真。

写真の中のお義父さんはもちろん、親戚も全員家が流された。だけど奇跡的にみんな無事でした。
叔父はやっぱりもとの家があった閖上一丁目に家を建てたいんだって。
「新しい立派な家を建てるぞ。津波が来たらまた逃げればいいんだから」って笑ってた。
叔母さんも笑っていた。私も本当にそう思う。
叔母の家にあった大きな亀と鶴のはく製の行方が気がかりだった末娘よっちゃん。
「津波で亀は海にもどって、鶴は田んぼに帰ったんだ。また呼びに行こう!!」って。
希望を持ってみんなで生きていこう!!

なかちゃんありがとう!

今日も通常託児業務。
いつもお世話になっているにこサポのなかちゃん
ちょこちょこ用事があったり営業で出かける私の変わりに託児業務を引き受けてくれている。
用事が終わって私が帰った時も、笑顔で子ども達とお砂場で遊んでいたり、髪の長い女の子を可愛く結ってあげたり
なかちゃんは美容師さんなので、アレンジもとっても上手でおしゃれ♪
本当に安心してお任せしています。
なんていったって三人のお子さんを育ててるお母さんなんだもんね
三時のおやつには「たくさん作りすぎちゃったんで」って美味しそうな蒸しパンを差し入れしてくれたり
三番目のお嬢ちゃんと仲良く歩いているのを見かけるたびに
「本当に幸せな親子だな〜」なんて思っちゃいます。
なかちゃん、いつも手伝ってくれてありがとう!!
by みなっち 本日の募金30円