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スパ泉ヶ岳に行く。

三連休最終日。午後から予約が入っていたシッターがキャンセルになったので温泉へ[emoji:v-48]
あまり時間もなかったので、近場の「スパ泉ヶ岳」に。
前から一度行ってみたいな〜とチェックしていた温泉♪
岩盤浴もあって混んでもいない。これはおススメ[emoji:v-353]
建物は多分古いと思うけど、岩盤浴のスペースはこざっぱりとキレイ!
何より他の岩盤浴施設より、湿度があってその分長く入れるのです。
サウナは苦手な人にもおススメなのです。
岩盤浴で横になっている間もしっかり美肌対策。シートマスクを乗っけてエステ気分[emoji:v-329]
思いがけず、ゆっくりと過ごせた休日。楽しかった[emoji:v-344]

娘の反抗期②

どうやら私のブログをチェックしていたらしい娘
何となく微妙に聞き分けがいい日曜日の朝。昨日の夜から暴風が吹き荒れているのはこのせいか??
外にも行けないので仲良くみんなでテレビを見る。録画していた「夜行観覧車」
その中で中学生のお姉ちゃんも反抗期らしく暴れる暴れる
「お母さんは自分の子どもがあんなことしたらどうする??」
という娘に一言。「一人では絶対に帰ってこられないような外国の山奥に修行に出す!!」
結構真剣に言ったのに「ヒ〜ッ」と笑い転げる娘たち・・・
小学校から中学校になる時期は女の子にとっていろいろな悩みがあるのかな〜もはや自分の事は思い出せない今は笑っていられるけど、この先進学・就職・結婚。まだまだ乗り越えなくてはいけないハードルがあるのです
仕事ばかりしていたお母さんも悪かった。ごめんなさい。子育ても、頑張ります。今日はごはんもちゃんと作ります
(なんだそんな簡単なこと!と言わないで〜今のお母さんにはコレが一番出来ていない事なのです

娘の反抗期。

反抗期真っ盛りの長女。何を言ったって全く聞く耳を持たない。私の邪魔ばっかりしてるとさえ思える行動。
ちょっと目を離すと下の子に「なんでアレあげたのに言うこときかないの?」と耳元でヒソヒソ
よくある姉妹の会話かもしれないけど、姉妹と言っても他人を自分が思うように動かせると信じている長女の行動に母親ながらあきれる。
何もかも自分の思う通りになると信じきっているわが娘・・・
希望に満ち溢れムンムン進んでるといえばそう言えなくもないのだけど??
今のままでは絶対に自分のためになりません!!
他人が自分の思い通りになるんて大間違い。
厳しいかもしれないけれど、人はたった一人で生まれてきてたった一人で死んでいくのです。
兄弟でも親でもその時を一緒にというわけにはいきません。
自分の都合で人を振り回してはいけません。
しっかりと未来の自分の姿に向かって努力し進んで行くのはとっても良い所。
上を見すぎないで、しょんぼり下を向かないでまっすぐまっすぐ。
ひかりのこらしくあるいていってね。

仕事のノウハウは現場から学ぶ。

今週末はパソコン仕事がたまっているため、仙台でお仕事。
秋田の父は来週退院。嬉しいけど、ちょっと・・いやかなり心配
でも、家に帰れるのならまた仕事できるじゃない!という私にスパッと仕事を辞めたと話す父。
「えっ!だって現場に入れなくても電話で配車したり、仕事回したり出来るじゃない」まだ引退するのは早いと言い張る私に父は・・
「現場を離れたらお終い。状況がわからなければ仕事も取れないし、配車だって出来ない。全部人に任せた」とあっさり引退宣言
ぶ〜ぶ〜言いたかったけど、本当は父の気持ち、とってもよく分かる。
どんな業種も同じだと思うけど、やっぱり現場から学ぶことは本当に多いのです。私も忙しくたってシッターに入る時間が大切で、そこから気が付く事って沢山あるのです。
久しぶりに会うお子さんの成長を確認し、会員さんのお話を聞く。自分でシッターに入ると働く人の気持ちもよくわかる。そこからまた仕事の問題点、改善策が見えてくる。やっぱり現場に入ることは大切。
運送業だってきっと同じなんだろうな。どんな現場で監督さんはこんな人。働く運転手さんにとってどんな環境で賃金はこのくらい。色んなことを把握して、それぞれぴたっとくる運転手さんを派遣する。やっぱり現場を離れちゃ出来ない仕事なのです。
私が普段何気なくしている仕事の進め方は実はほとんど父から教わったものだったのです。
会社を大きくしないやり方。リスクを分担しないやり方。常に現場から離れずそこから新しい仕事につなげるやり方。そして仕事では仲間を作らず自分一人進み責任を取り周りに迷惑をかけないやり方。
みんなに損している、無謀だと言われたってそんな父の生き方が好きだし、経験から学び、大きな壁にぶちあたって、その問題を解決するために考え続けてきた事が今の私の仕事につながっている。それも父のお蔭だし、仕事の姿勢をしっかり教わたのです。
母が病気だったため10歳からずっと父と二人で生きてきた私。それは辛くて大変な事もあったし、ケンカしたり叱られたり。それでも父の子に生まれてきて私は本当に幸せ者だし、何だかんだお小言は多くても最後にはいつも私の味方をしてくれた父。いい年してはずかしいけど、私はお父さんが大好き 
ちょっと早い引退だけど、お父さん本当にお疲れ様でした。私にたくさんの事を教えてくれてありがとう。
後は・・せっかくのんびり過ごせる時間が出来たんだからじゃんじゃん遊んじゃおう!!
どこでもついて行くし(お邪魔虫??)連れて行くから楽しみにしていてね!
そのために、せっせとお仕事

父のお見舞い。

仕事をちょこっとお休みしてまたまた父のお見舞いに。
どうやら新薬のイレッサが合ったようでどうにかこうにか小康状態をたもてることに。
ちょっと、ホッとするも、先生からの大事なお話が。
やっぱり予想通りの内容にかなりがっくり
でもとりあえず一旦退院が決まり、転院先の病院を探していたのですがそこで一悶着
どうしても先生が紹介する地元の病院に帰るのが嫌な父(それには理由があるのです)
もう紹介を終えてしまったので、今さらキャンセルするのが嫌な主治医の先生。
父の兄は別に紹介したい病院があるそうで、そこの転院を進めている。
私はやっぱり仙台の病院に来てほしい。みんなバラバラな意見なんだけど・・・
叔父も私も父のために一生懸命考える。父はお世話になった先生を立てる。先生は自分の立場を優先
そんな中ぐるぐるぐるぐる意見が迷走
だったら転院しないで今の病院に通って治療を続けたいという父。それに対しての答えは・・
「うちの病院は地域の人を優先するので、父を受け入れられないからやっぱり紹介先の病院に行ってください」とのこと
これに怒った叔父は「じゃあっ!!病院の隣に家を建ててやる そうしたら弟(父)も地元民だろっ」って・・
まるで映画一本出来そうなストーリー展開になりみんなトホッと疲れて解散。
まだまだ私も父に対しては弱いからついつい言う通りにうんうん頷いちゃうんだけど、今回は叔父の意見に一票!
何だかものすご〜く心配なまま仙台に帰ってきました う〜ん

ひかりのこらしあるきなさい

二月からベビーシッターと子育てサロンをメインとして活動を続けることになったにこにこサポート。
今まで被災割引で学童託児を利用していた会員さまも引き続き子育てサロンや、シッターをご利用していただけますので、これからもどうぞよろしくなのです
あおばサポートから始まって二年。小学校高学年だった子どもたちはもう中学生。幼稚園だった子どもは小学生に。本当にあっという間でした。
子ども達にずっと言い続けていた言葉 「ひかりのこらしくあるきなさい」
私が通っていた幼稚園はお寺の幼稚園。園長先生はお坊さんでした。紙芝居などは、蜘蛛の糸のようなお話が多く中々シュールで楽しかった記憶が。本当はカトリック系の幼稚園に入れたかった両親はガックリしかしあきらめない母は(親子ですなぁぁ)私を日曜学校に通わせることに
何を学んだという事はないのだけれど、聖歌と教会のお菓子が好きで楽しく通っていたのです
未だに宗教には無所属なのですが、その時教会で教えられたことが今でもとても印象的なのです。
赤ちゃんはみんな祝福されて生まれてくる大切な宝物。頭にピッカピカの冠をかぶっているのです
だから子ども達が希望を持って生きられるように大人はしっかりと守らなくてはいけない。
みなこちゃんもピカピカの冠を落としてしまわないようにしっかりと前を向いてひかりのこらしくあるいて行くのですよ。と教えられました。
笑われるかもしれないけれど、40にもなってまだこの言葉を信じ、実行している私(図々しいって??
無理をして上を見る必要もなく、しょんぼり下を向かない。ただ冠を落とさないようにしっかりと前を見て歩く。
嫌な事があっても失敗しても「私はひかりにこなんだから傷つかないんだもんっ!」とすぐに立ち直る。単に思い込みが激しく、学習能力に欠けているのかもしれないけれど、これで何でも乗り越えてこれたのです。
にこにこサポートを卒業していく子ども達も、何か辛いことがあったら。何にもなくたって、いつでもこの言葉を思い出し、遠慮しないで遊びに来てほしいなと思うのです

あけましておめでとうございます♪

なまはげ
みなさま、お正月いかがお過ごしでしょうか?
私は、娘二人を連れて秋田市内の病院に入院中の父を見舞いがてら、大晦日一泊だけ秋田のホテルにお泊り。
屋上に温泉があるホテルに娘たちもちょこっとだけお出かけ気分 父は体調が優れず残念ながら外泊は出来なかったのだけど、親子三人、紅白を見ながらゆっくりすごす大晦日。。
翌日。さすがに元旦は上り新幹線もがら空き・・・駅の構内ではなんと!本物なまはげに遭遇
もっと遊びたかったとぶ〜ぶ〜文句を言う娘らも、これにはびっくり!!
すかさず、私の影に隠れる娘たち・・・
なまはげに会ったって堂々としていられるように、今年も良い子で過ごしましょう
私たちも記念になまはげ写真をパシャリすっかりなり切ってる末娘・・コワッ
昨年も本当にいろんなことがあったけれど、沢山の人に助けられ、どうにかこうにか頑張ってこられた私たち。
病院で父とも沢山のことを話したのだけど・・・結局すべてを受け入れ、どうしたら毎日笑顔で過ごすことができるんだろうと一緒に考える。
父から聞いた、病院に運ばれた時の話にびっくり!!はっきりとした原因である病巣が見つかった時点で20年前だったら手遅れであきらめなくてはいけなかったのだとか。
それでも、まだ希望が残され、どれくらいかは分からないけど一緒に過ごす時間が持てたことは奇跡だし、それは沢山の人の努力と手助けがあったからこそなのです。
そう考えると、私たち親子は幸せなのかもしれない。春になったら仙台に遊びに来ることを楽しみにしている父。
だから私も希望を持って、今年も明るく元気に働くことを誓います。
新潟で、父の診察をし、病院を手配してくださった立川総合病院の阿部先生に心から感謝申し上げます。
さて、今年の抱負 私の仕事の決意表明
せっかく作った場所。今年はもっと広く開かれた場所になるように。沢山の人が集まる場所になるように。
突然カフェを閉めて、ご近所の皆さんにも、いつも来てくださるお客様にもご迷惑をかけたことを心からお詫びします。
一度無くてしまった信用を取り戻す事は簡単ではありません。
それでも、今年一年、しっかりと起業を目指し、地域の方に喜んでもらえる場所にしていくよう努力していきます。
みなさん、今年もどうぞよろしくお願いいたします

両立することの難しさ。

2月の起業に向け、準備をすすめるものの、11月、12月と託児やシッターの人手不足でご迷惑をおかけしたにこサポ会員さま本当に申し訳ありませんでした。心からお詫び申し上げます。
私の父が11月。脳腫瘍の診断を受け二度の手術、病院の手配などなど、全くの私事ではありますが、仙台と秋田の往復をしていました。
手術の結果は良好だったものの、これからが本格的な治療となるわけで。
一つの物事しか考えられない私は、常に取捨選択した生き方をしてきました。大学か仕事か、結婚か仕事か。
そして起業か家族か。器用に何でもこなすことが出来ず大切だと思った方を選び、もう一方はぱっと手を放してしまう。
だからこそ、仕事と家庭、子育てを両立するお母さんの大変さもよく分かるし何か自分に出来ることがあるのではないか。それが私の仕事なんだと信じて にこにこサポートを立ち上げたのです。
順調とはいかなくても二年。新しい施設も完成しこれからと言うときの父の病気。
でも、今回だけは、どっちも諦められない。病気と闘う父を見て一緒にいたいとも思ったけど、やっぱり仕事で成功したことを報告したいと強く思ったのです。
この何日間。ずっと一緒にいて、父の一番印象的だった言葉。
「仕事、がんばりすぎたのかな〜本当は辛かったんだよね。だから病気になった気がする。」
「何んで??お父さん仕事好きだったじゃない そんな事ないよ」と言う私に
「そうじゃない。本当はすごく辛かったんだ」
だから、私にも、そんなに根を詰めてはいけない。周りに敵をつくってもいけない。自分の(父)悪い所がよく分かっているはずだから、それをマネしちゃいけないんだと教えてくれた父。
よくわかった。嫌だけどその通りなのかもしれない。ただ、尊敬する父が間違った生き方をしたとは思いたくなかったけど。
頑張りすぎたらだめと言われても、今回だけは仕事も父の事も納得がいくよう両立させていこうと思うのです
そして人に、家族にだって絶対に弱みを見せない生き方をしてきた父、そっくりな私。もっと言えば人を信用したり頼ったり出来ない私。
今はよくわからないけれど、今回の事でとっても大切な事を学んだ気がするのです。
みなさん、今年も本当にお世話になりました。どうぞ良いお年をお過ごしくださいませ。

五年後・十年後の目標に向かって

またまたご無沙汰で本当に申し訳ございませんでした
夏休の学童託児に引き続き、若干定員を増やしたものの、やはり今回も黄金伝説なみにギリギリの予算
その中で、どうやって子ども達と楽しみながら過ごすのか?企画は?講師は?問題をクリアーするために
西へ東へ
クリスマス会より、忘年会がしたいと言う子ども達。
「だって、25日はケーキも食べてるし、プレゼントももらってるもん」だって・・
でも、なるほど。それじゃ、忘年会に決定!
震災から続けてきた子育て支援から託児サービスへ。起業に向かってただ今準備中
ニーズに応えることに振り回されていた一年目 2011年。託児施設を完成させ銀行の支払いに追われていた二年目 2012年。
来年は・・・。きっと今までよりさらに厳しい年になるでしょう。ここからが私にとって本当の起業なのです。
五年後の目標をクリアーするためにひたすら自分が動く。会員数1000名を目指して、にこにこサポートが仙台で信頼される託児サービスの会社だと認められるまでしっかりと働く。
それが出来なかったら、十年後もないのです。
今、被災地で問題になっている 産後うつ 慣れない土地での孤立した子育て 
でも、結婚し、出産し、夫の転勤などで出産後、女性は慣れない土地で子育てするというのは前からある問題なのです。
何かに特化せず、地域の子育て中のお母さんに喜んでもらえる場所を作っていくことが私の願い。
本当は、今後の事を考えると辛くて悲しくて逃げ出してしまいたくなることもあるのです。
それでも起業を決めた以上 自分を信じて進んで行くしかないのです。
自分の子育てだってまだ終わったわけではありません。これから娘たちの進学・受験 親として考えサポートしていかなくてはいけない事は沢山あるのです
仕事を続けていくために、にこサポの子ども達、私の娘たちを守っていくためにもっと強くなろうと思うのです。

これが私の生きる道!

ご無沙汰しておりました
ブログをサボって?西へ東へ忙しく走り回っているうちに・・すっかり秋ですね〜
もはや、朝 お布団から出るときに「エイヤッ」と勢いをつけなければ起きられない。。
実は、0〜3歳の子ども達の託児をしていた ひかりの子ども園が(旧にこサポ)いろんな事情で来月いっぱいで退去ということに。震災後、ちょっと傾いたサッシや塀などなど、大幅な手直しが必要なのです。
仙台市にはファミリー向けのちょっと広い2Kや3Kの物件の空きはほとんどなく、今回お引越しするなら将来的に「保育ママ」が出来るような環境を整えておきたいのだけど・・そんな物件は見つからず
困っていた私にまたまた大家さん大活躍!今サロン活動、カフェなどを運営している3階部分を貸していただける事に!
わぁ〜い!!
ところが、市の基準をクリアーする施設にするためにはまた大幅な予算(内装費)がかかるわけで・・
そんな事情もあり、仙台市、県庁と足を運ぶも、やっぱりいつもと同じ悲しい回答。
だけど、もうこうなったら本当の気持ちを書いちゃいます。
今まで各支援団体から「なぜ仙台市の助成は受けられないの?だったら県庁は??」との声が。
もちろん、一番初めに相談しました。震災直後にはNPOプラザにも。でも私たちのような任意団体が信用されることはないのです。運営に関してもアドバイスを頂けるようになるまでにはそれこそ何年もかかる。ところがちょっと知り合いがいるというだけで、簡単に優遇されたり。
仙台市も、県庁も一生懸命動いてくれています。私たちが応募できる助成の枠がないだけなのです。
今までは各支援団体にそう回答してきましたが、実際は私だって「なんでそうなるの?」どうして「あちらはよくてこちらはダメなの?」
いつも強い憤りを感じながら活動しているのです。
今は我慢しなきゃ。一生懸命頑張っていれば。そう思っていたけど自分の言いたいことはハッキリ言わせてもらいます。
おかしいことはおかしい。だめなものはだめ。
これからはハッキリ率直に。やかましオバサンと言われたって思ったこと感じたことを書く。
「あ〜にこサポさんね。代表はうるさいからねぇぇ」と言われようと
だって、私たちは子ども達の場所を守らなくてはいけないんだもん。敵を作らない生き方は目標であるけれど、我慢する必要などないのです。やっぱり利口な生き方なんか出来ない。
真っ向勝負 これが私の生きる道!!